高橋敏雄 (内務官僚)
高橋 敏雄(たかはし としお、1901年(明治34年)6月24日[1] - 1967年(昭和42年)11月15日[1][2])は、日本の内務・厚生官僚。官選群馬県知事。
経歴[編集]
長崎県東彼杵郡佐世保村(現佐世保市)で、父・高橋敏二郎、母・三九重の長男として生まれる[1][3]。1909年(明治42年)1月、東京市に移り、府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校を卒業[1]。1924年11月、高等試験行政科試験に合格し、翌年12月、高等試験司法科試験にも合格した[1]。1926年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[1]。内務省に入省し社会局属となる[1][4]。
以後、地方事務官、宮内書記官、厚生書記官、厚生大臣官房人事課長、厚生大臣秘書官、内務省大臣官房人事課長、内務大臣秘書官などを歴任[3]。
1945年4月、群馬県知事に就任し、戦後の復興に尽力したが、1946年1月、公職追放となり退官した[3][4][5]。
その後、鹿島建設常務、日光産業会長、同代表取締役を経て、1956年11月から1967年7月まで健康保険組合連合会常務理事を務め[1][3]、支払側の立場から医療保険制度の発展に尽くした[6]。
伝記[編集]
- 『高橋敏雄さん』高橋敏雄氏追悼録刊行会、1968年。