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ノート:ゴシック・リヴァイヴァル建築

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ちょっと感想です。

  • 「18世紀後半から19世紀にかけて興ったゴシック建築の復興運動」とありますが、ウォルポールは「中世趣味」とでもいうべきもので、ゴシックリヴァイヴァルはほぼ19世紀以降、と言ってよいのではないでしょうか。
  • ピュージンの国会議事堂:「この建築は全体よく見るとパラーディオ主義建築の構成であり、ゴシック的であるのはうわべの装飾にすぎない」とあるのはちょっと酷では? ピュージンが聞いたら嘆くでしょう。
  • 「ゴシック・サヴァイヴァル建築」という言葉は正直聞いたことがないのですが、最近使われるようになった言葉なのでしょうか?不勉強ですいません --忠太 2005年5月30日 (月) 14:38 (UTC)[返信]
ゴシック建築についての懐古趣味的なものだけでない出版物が発行されるようになって(1780年代くらいから)、これがゴシック復興運動が成り立っていく過程として見るならば18世紀後半くらいから始まったとするのが妥当だと思います。本当は、このあたりのことも概説に含めなければならないかもしれません。また、国会議事堂のゴシックが表象的というのは個人的感想ではなく、チャールズ・バリィが言っていることです。彼は、この建築はすべてが古典主義であって、古典主義建築にゴシックの装飾をちりばめた…という趣旨の発言をしています。実際の建設に関しても、建築実務に関してはバリィのほうが取り仕切っており、ピュージンは細部の意匠設計のみを委託されていました。当時、公共建築に古典主義が採用されていたことを考えると、当然の帰結かと。ネオ・ルネサンスのデザインを好んだバリィにとってみればなんてことない発言かもしれませんが、ピュージンがこの発言に同意したかどうかはわかりません(多分、不愉快だったと思いますが)。
ゴシック・サヴァイヴァルは、ゴシック建築の範囲が確定されていないころ、ゴシックとかジャコビアン建築(当時ゴシックと考えられていた)などがごたまぜに表現されているもので、多くは無名の建築家によるもの…らしいです。個人的にはウィリアム・ケントが設計したハンプトン・コートがこれにあたると解釈してます。Hiro-o 2005年6月2日 (木) 15:58 (UTC)[返信]